D.Force The Last Chapter
Force-19
羽ばたく翼

デルタで一番の高さを誇る塔の上に二人の人物がいた。
「鳥どもは殲滅されたそうだ。意外に早かったな」
静かになった空を見上げ、エリオスはそうつぶやいた。
まぶしい夕焼けに目を細める。
「被害は?」
「死者数名、怪我人多数。例の術の発動は認められなかったらしい」
「そうか・・・。犠牲は免れなかったか」
「だが、事態がさらに酷くなる前に沈静して良かった。その理由は、突然現れた黒い竜らしいがな」
「竜・・・か」
「子竜ではないかと早くも噂が立っているらしい」
「・・・・・・」
淡々とした会話、そして沈黙。エリオスは眉をひそめた。
「機嫌が悪いようだな、スティング。お前にしては口数が少なすぎる」
「そうか?」
言い、スティングは振り返った。
「いつもならぎゃーぎゃー騒ぐだろうが。お前が静かだとこっちの調子まで狂う」
「騒ぐって・・・失礼だな。確かにいつもよりは静かに見えるだろうけど」
苦笑し、スティングは歩き出した。エリオスが後に続く。
「ふっ、失恋でもしたか?」
からかうような口調に、スティングの足が止まった。
「失恋と同じ・・・かな」
つぶやくように言うと、再び歩みを進める。
驚いたのはエリオスだ。冗談で言ったつもりだが、予想外の答えを返された。
それが何を意味するのかエリオスにはさっぱり分からない。
「ナチと喧嘩でもしたのか?」
「ナチとも喧嘩したけど・・・。それとは関係ないかな」
エリオスの問いに淡々と答えるスティング。ますますわけの分からなくなったエリオスは眉をひそめた。
「竜神は蘇る」
「・・・なんだって?」
繋がりのない言葉に、エリオスは思わず聞き返した。
「封印されていた竜神は蘇る。このディオール大陸に」
「馬鹿な。竜神は死んだはずだ。子竜による禁忌の術によって。一体何を根拠に・・・」
「近いうちに僕たちは全てを目の当たりにするだろう。そして、ディオール大陸は再び竜神に抱かれるんだ」
「スティング・・・。気は確かか?」
心配そうに聞くエリオスに、スティングは笑ってうなずいた。
「ああ。残念だけど気は確かだ。気でも狂えば楽だろうけど」
「・・・・・・」
スティングとの奇妙な会話。
並べられた意味深な言葉に、エリオスは不審を抱かずにはいられなかった。
「じゃあ、僕は戻るよ」
「そうか」
塔の階段を下りきったところで、スティングは言った。
普通に言ったつもりだったが、スティングが見たエリオスの表情は深刻そうだった。
「そんな心配そうな顔をしなくても」
「誰のせいだと思ってる。さっさと行け」
怒った口調でエリオスは返した。
「そうそう。エリオスは毒舌なのが一番だ」
そう言い残し、スティングは行ってしまった。
その背中が見えなくなった頃、エリオスは深いため息をついた。
「竜神が蘇るだって・・・?」
そんな馬鹿なことが・・・と、エリオスが苦笑しかけた時。その表情が硬くなった。
「ナチが・・・」
幼児退行していたナチは竜神を探し続けていた。さらに、フォースを所持していた。
スティングからナチは回復したと聞いていたが、スティングの竜神の復活発言と何か関係があるのでは?
エリオスの知らない所で何か大変な事が起きているのではないかと不安が巡る。
足が自然と行くべき方向と逆に進む。
歩みが小走りに変わり、気づけば全力で走っていた。
荒い息で館を見上げる。館は明かりのない、暗闇に包まれていた。
「ナチュラル!」
いないと分かっていたが、大きな声で呼んだ。
扉も叩いてみる。だが、反応は無かった。
「・・・いないか・・・」
日を改める必要があると、宮殿に戻ろうとした時だった。
自分を見ている影に気付いた。エリオスと少し距離を置き、こちらをじっと見ている。
「―――――― ナチュラル?」
呼ぶと、影はうなずいた。
「ちょっと街に出てて・・・」
歩み寄りながら、やや小さな声でナチは言った。
「・・・?」
憔悴した表情のナチ。とぼとぼと歩き、エリオスの前までやってきた。
そして、無言で立ち止まる。
「あれから回復したとスティングから聞いたんだ。様子はどうかとついでに立ち寄ってみたんだが・・・」
異様な雰囲気に、エリオスは慌てて言った。
しかし、ナチは何も返さなかった。
無言のナチ。その服はところどころ汚れているが・・・。
「もしかして、街でブラックフォルスと戦っていたのか?」
すると、ナチはうなずいた。
「どこか怪我でも・・・?」
いつもと違うナチに、エリオスは心配そうに伺う。
「いえ、大丈夫です。少し疲れただけですから・・・」
エリオスの横をすり抜け、館の扉を開けようとした時だった。
「危ないっ・・・!」
僅かな段差に足を取られてバランスを崩したナチ。エリオスは叫んでナチの肩を抱いた。
「少し所の疲労じゃないだろう?体が完全に衰弱しきっている。無理がたたって・・・」
「エリオスさん・・・わたし―――――― 」
ナチの体がすべり落ち、膝が地面に着いた。
「願ったらいけないんでしょうか?これ以上おかしくならないようにって・・・日常の生活が送れるようにって願ったらいけないんでしょうか?」
弱弱しい、震える声。
「ナチュラル・・・」
エリオスは身をかがめ、ナチの肩に手を置いた。
「一人になんかなりたくない。そんな事考えたくもない・・・!なのに、なのに・・・!」
「少し気が動転しているようだ。君は一人なんかじゃない。私はこうして君の傍についているし、これから先だって君の力になりたいと思う。それに、君には信愛する兄がいるだろう?」
エリオスの言葉に、ナチは身を震わせて反応した。
「クロードさんなら、君をきっと守ってくれる。君が寂しく思う時はずっと傍にいてくれるはずだ」
言うと、ナチは激しく首を振った。
「いなくなるから・・・ディクスがいなくなるから・・・!だって、大陸を守るためには竜神様の力が必要だから・・・!」
「いなくなる?・・・竜神の力・・・?」
訴えるナチだが、それはエリオスには不可解な言葉だった。
「ディクスには今までどおりでいて欲しい。ちょっとしつこくて、うるさくてもそれでいい・・・!でも、わたしの願いが叶えば、ディオール大陸が・・・」
「一体どういう事なんだ?どうして竜神の話が?」
ナチを落ち着かせようとしていたエリオスに動揺が走る。
ナチは一瞬の沈黙の後、震える唇を開いた。
「ディクスの・・・兄の中に竜神様がいるから・・・。竜神様が復活すれば、兄は、もう・・・」
「クロードさんの中に・・・竜神?そんな馬鹿な・・・」
「どうしてわたしの兄なんでしょうか?わたしは兄と過ごす事を願ったらいけないんでしょうか・・・!?」
一度は落ち着いたナチの感情が再び荒れる。すがるナチの姿に、エリオスは混乱するばかりだった。
「ナ・・・・!?」
ナチの手がエリオスの手に触れた瞬間だった。
"何か"がエリオスの意識の中に潜り込んで来た。
フラッシュバックのように再生される過去の光景。
ナチが今まで体験してきた事、起こった事、感じた事。そして、思いがエリオスの意識に逆流したのだ。
言葉で語らずとも、エリオスはそれで何が起きているのかを理解する事が出来た。
ナチは何を悩み、何が起きているのか・・・。
だが、それは実に信じがたいものだった。
―――――― 竜神が・・・クロードさんを生み出した・・・?
「見えました?エリオスさん・・・。それが真実なんです・・・」
困惑していたエリオスの表情が驚愕に変わったとき、ナチは少し顔を上げて聞いた。
「わたしと兄は、本当の兄妹じゃないんです・・・。それでも、兄はわたしのたった一人の兄なんです。誰よりも大切な人なんです。でも、竜神様がいるから、わたしは兄と一緒にいる事を願ったらいけないんです。願ったらディオール大陸が堕ちてしまう。それなのに、わたしは願ってはいけない事ばかり考えてしまって・・・兄を困らせて、喧嘩して―――――― 」
溢れる涙は治まらない。
それは、失う事への恐怖の印だった。
ナチの意識が流れ込み、感情を共有した事によって、エリオスにもまた自然と涙が流れた。
自ら他者を切り離し、失う事を望んできたエリオスにとって、その感情は新鮮で、そして酷く心痛いものだった。
「・・・君はこんなにもつらく悲しい感情を抱えていたのか・・・」
エリオスはナチをそっと抱いた。
まるで、ナチが抱えているつらさを半分請け負うかのように。
「ごめんなさい・・・」
エリオスの胸に額を押し付けるようにして、ナチは言った。
「君の素直な気持ちを伝えた方が良い。そうすれば、"変わる事"もある。不可能を可能にしてきた君の兄上なら、きっと道を切り開くだろう。彼はそうやって君と過ごしてきた。違うか?」
ナチは無言で首を振る。
エリオスはさらに続けた。
「彼は君を幸せにする事を最前線に考えて行動するだろう。ナチュラル、君はそれを受け入れるべきだ。それが、クロードさんにとっての、君への最大の愛情表現だ」
そして、エリオスはナチのあご手に手を触れ、少し上げた。
「さあ、笑顔を見せるんだ。君の兄上が心配そうに見ているよ」
言われ、ナチは視線を移した。
「ナチ・・・」
息の上がったディクスがいた。
心配そうな表情でこちらを見ている。
ナチはばつが悪そうにうつむいた。
ディクスが歩み寄ると、エリオスは入れ違うように身を引いた。
「何泣いてるんだよ、らしくない」
ディクスは笑いかけた。
「別に・・・」
「もう、夕方だな」
空を指差してディクスは言った。ナチはつられて空を見上げた。
「晩御飯の時間」
ディクスは立ち上がり、ナチに手を差し伸べた。ナチはその手をとり、立ち上がる。
「大暴れしたから腹減ったろ?美味いもん作ってやるから泣くなよ、な?」
「・・・ん・・・」
頭に手を置かれたナチは小さく答えた。
そんな二人の様子を遠めに見ていたエリオスは安心したように笑んだ。そして、無言でその場を立ち去った
「家に入ろう。こんなところで立ったままもつらいしな」
「うん。・・・あっ・・・!」
ナチは小さく声を上げた。そして、周囲を見回した。
「どうしよう、エリオスさん・・・」
散々泣きついて、挙句に放置してしまったと、ナチは慌てたように言った。
「大丈夫だ。お前が落ち着いたのに安心して帰ったんだろう。後で、ちゃんと礼を言えば良いさ」
「・・・うん。そうする。何か美味しいものでも作って持っていくね」
「ああ、そうしろ」
そして、ディクスは促すようにナチの肩を押して館に入ったのだった。


ブラックフォルスの来襲があったその夜。
薄暗い部屋の中から、ライアは青白い月を見上げていた。
「いよいよ、子竜本来の力を取り戻す時が来たのね」
窓辺に腰をかけるライアに歩み寄ってきたのはセルディアだった。
「本当にマスターが蘇っただなんて・・・今でも信じられないわ」
「ええ・・・そうね」
「これでディオール大陸も安泰ね。ディオライトも目じゃない。すぐに平和が戻るわ」
「ええ・・・そう願うわ・・・」
何処か上の空のライア。セルディアは不安そうに彼女を顔を覗きこんだ。
「まだ決心が着かない?」
セルディアが聞くと、ライアは驚いたように首を振った。
「違うわ・・・!私は子竜だもの・・・。だから、王子にお別れを・・・」
「そう・・・」
セルディアもまた同じ窓の手すりに腰をかけた。
そんなセルディアにライアはあるものを取り出して見せた。
「セルディア、この石だけど・・・」
ライアの手の上にある、色とりどりの石。セルディアがライアに渡したものだった。
「これを他の人に渡しても良い?」
すると、セルディアは一瞬不思議そうな顔を見せたが、すぐにうなずいた。
「ライアがそれで良いなら良いわ」
「有り難う」
少し安心したようにライアは笑んだ。
「ねえ、セルディアはこの十三年間どうだった?」
不意に聞かれ、セルディアは返答に困惑した。
「どうって・・・。少なくとも生きた心地はしなかったわ。禁忌の術を発動してから、記憶を失った私は数年を本当の人間として生きた・・・。けれど、真実を知って半狂乱になった事もあったわ。それから、私はマスターの復活だけを願って今日までやってきたわ。本当に長かった・・・」
十三年など、長命の竜にとっては僅かな時間だった。ところが、人間に身を落とし、不安な毎日を送ってきた日々は、永遠ともいえるほどに長く、つらい時間だったのだ。
「私とは逆ね」
ライアの言葉に、セルディアは少し驚いたような表情を見せた。
「私は・・・楽しかったわ。何もかもが新鮮でね。もちろん、つらい事も多かったわ。だけど、今思い返せば、楽しかった事、嬉しかった事の方が多かったように思えるの。――― 私は王子に仕える事ができて幸せだったのよ」
そして、ライアは小さく息をついた。
「正直に言うと、子竜としての責務を忘れて、このままずっとこの場所にいられたらと強く願った事もあったわ。人間としていられたら・・・と」
子竜としてあるまじき感情を抱いたライアをとがめず、セルディアは静かに聞いている。
「でも、それも終わりだから。明日、けじめをつけに行くわ」
「本当にいいの・・・?」
「何を言ってるの。子竜としてしっかりしなさいと言っていたのはあなたでしょう?私の決心を鈍らせるような事を言わないで頂戴」
言い、ライアは立ち上がった。
「明日早く宮殿に行かなきゃね。ようやく、私は本当の子竜に戻れる・・・」
「ええ、そしてディオール大陸を守るのよ。マスターと共に」
ライアは小さくうなずくと、隣の部屋に消えた。
残されたセルディアは、月を見上げ、そして、祈った。
「―――――― どうか、全てが元に戻りますように。我ら子竜にも、かつての平穏が訪れますよう・・・」


少し大きめの籠を抱え、ナチは宮殿へ急いでいた。
裏入り口から宮殿内に入った時だった。
「スティング!」
見慣れた姿を目にし、ナチは名前を呼んだ。
「ナチ?」
スティングは立ち止まり、ナチは駆け寄った。
「どうしたんですか?こんなに朝早くから・・・」
時刻は朝の九時。ナチがいつもやってくる時間にしては早かったのだ。
「うん、エリオスさんにお礼が言いたくてね。それで早く来たの」
「エリオスに?」
「昨日、わたしが泣き付いて困らせちゃったから」
ナチは苦笑したが、状況の分からないスティングは不思議そうな表情だ。
「ところで、昨日のブラックフォルスの影響はありませんでしたか?町にも大分被害が出たのですが」
「ちょうどディクスと街に出てて、巻き込まれる羽目になったわ。それに、子竜も現れたし・・・」
と、ナチは意味ありげに言って見せたが、スティングの反応は薄かった。
「竜神が本当に蘇るのも時間の問題かもね。ディクスも分かってるのか、朝から頑張って料理してるわ」
「さすがディクスですね」
「ん、まあね。あ、そうだそうだ。スティングにも用事があったんだった・・・」
ナチは何かを取り出して差し出した。
「これ、サンダストライト。鍛冶屋さんに加工を依頼してたでしょ?スティングの事だからなかなか街に出て来れないんじゃないかって、わたしが預かってきたの」
明るいオレンジ色の石が、銀色の台座に納められている髪飾りだ。
「良かったー、ブラックフォルスが襲ってくる前に預かってて。あの鍛冶屋さんがあった辺りが一番被害が大きくて。鍛冶屋さんがどうなったかもよく分からないから」
渡された髪飾りを、スティングは目を細めにして見ている。
「"大切な人"に贈るんだよね?早く渡してあげなきゃ。その人もきっと待ってるはずだよ」
「・・・ええ」
「じゃあ、わたしはこれで。・・・あ!その鍛冶屋さんに一緒に行った時、わたし不機嫌だったでしょ?ごめんね、大した事ないから気にしないで!」
「・・・ええ」
そして、ナチは歩き始めた。数歩歩き・・・そして、おもむろに方向を転換して再びスティングのところにやってきた。
スティングの手を強く握る。
「そんな顔しないで!いつものスティングじゃなきゃ、皆心配しちゃうよ。スティングの大切な人だって・・・。だから、笑顔笑顔!どうしてもくよくよしちゃいそうな時は館においでよ。美味しい料理を食べたら不安も吹き飛んじゃうから」
「ナチ・・・」
満面の笑みで勇気付けるナチに、スティングは少し笑んだ。
「頑張ってね!」
そして、ナチは行ってしまった。
スティングは、手にしている髪飾りをぎゅっと握った。
「・・・そうだ。くよくよしていたら、安心してもらえない・・・。彼女には――― ライアには、僕が立派な王位継承者だと認めてもらいたい・・・!」
足が自室へと歩みを速める。
なんとなく予感がしていた。
ここしばらく会えなかったいつもの姿が、今日はあると。
そしてまた、感じていた。
今日が、"最後の日"になるのではないかと。
がちゃ
いつもの様子で自室に入ったスティング。
その部屋にいたのは・・・
「おはようございます、王子」
予感は的中した。いつもの制服に身を包んだライアがいたのだ。


「王子、折り入ってお話しがあります」
神妙な顔つきのライアに、スティングは異変を感じ、少し慌てたようにうなずいた。
「さあ、座って」
部屋の隅にある応接スペース。そこに二人は座った。
「話って?」
「お渡ししたいものがあるのです」
ライアが差し出した封書。その表には何も書かれていない。
「これは?」
「読んで頂ければお分かりになるかと」
「ライアらしくないな。手紙なんて」
「王子!」
封書を手に取ろうとしたスティングに、ライアが待ったの声を掛ける。
「・・・・・・後で読んで下さい」
いきなり声を上げられ、驚いたスティングはそろそろと手を引っ込めた。
「ライア、どうかしたのか?」
いつもスティングを支えてくれたライア。スティングを見守り、力となってくれた。そんな彼女が珍しく挙動を見せていた。
スティングにも不安が広がる。
「それと、これを」
白い袋を机の上に置く。
じゃらっ
何か硬いものがこすれ合う音が耳に届いた。
「これが何であるか・・・王子になら分かるはずです」
「・・・・・・」
恐る恐る手に取り、中を確かめた。
入っていたのは、色とりどりの石。見覚えのあるそれらに、スティングは驚いてライアを見た。
「ライア、この石は・・・!」
声を上げるスティングに、ライアは静かにうなずいた。
「王子は私の誇りです。今までも、そして、これからも・・・。私は王子を思い、そして、幸せを願い続けます」
ライアの言葉に、スティングに嫌な悪寒が走る。
まるで、ライアが――――――
「この十年間。私はとても幸せでした」
今まで見せたことが無いくらいの柔らかい、穏やかな笑み。
驚くスティングを置き、ライアは無言で立ち上がった。そして、深々と一礼する。
下げていた頭を上げようとした時だった。
スティングの手が髪に触れるのが分かった。
「態勢がきついかもしれないけど、少し我慢して」
しばらくしてスティングは手を離した。
「これは僕の感謝の印だ。本当はこんなものでは足りないくらいだけどね」
ゆっくりと顔を上げたライアは、髪に飾られた飾りに手を触れた。
その手を通して、ライアに流れ込んでくる力。
「サンダストライト・・・琥珀色の美しい石・・・」
「触っただけで分かるなんてさすが!ライアの赤い髪に合うと思って、石を加工してもらったんだ」
思いがけない贈り物に、ライアに熱いものがこみ上げてきた。
「大事にします、王子。王子に素晴らしいものをいただけるなんて、私は果報者です。――― 有り難うございます」
そして、急ぐようにスティングの元を立ち去るライア。
「ライア!」
スティングは呼び止める。
振り返らず、ライアは立ち止まった。
「有り難うを言わなければならないのは僕のほうだ。この十年間、僕はライアがいなければやっていけなかっただろう。ライアは僕の大切なパートナーだ。そして、これからも・・・」
スティングの言葉が胸に響く。嬉しいはずなのに、ライアの胸を締め付ける。
その言葉の先を聞きたくなかった。決心が揺らぐのを必死に押さえるように、拳を硬く握る。
「でも――― 」
ライアの体がびくりと反応する。
「もう、大丈夫だ。僕なら大丈夫。だから、安心して欲しい」
ライアの表情がゆがむ。堪えているはずの涙が自然と頬を伝う。拳が緩み、安堵と・・・そして、消失感がライアを襲う。
・・・私の事を何でもお見通しなのですね・・・
「ライアが今まで教えてくれた事を生かして、この国を築いて行くよ。だから・・・」
「さすがは王子です。私が見初めただけあります」
相変わらず背を向けたまま、ライアは嗚咽を堪えてようやく告げる。
「本当?それは嬉しいな」
自分の背に向けているスティングの表情はきっと笑顔だろう。ライアを癒し、力の源となっていた笑顔。
それが見たくてスティングに仕えていた。
出来る事ならもう一度だけ・・・・・・"最後"にもう一度だけ・・・!
「ライア」
その愛しい声にほんの少し顔を上げた。
「有り難う」
優しい声が心を満たす。
「・・・・・・」
それで十分だった。ライアにも笑みが戻る。
振り返り、そして、もう一度深く頭を下げる。
だが、スティングの顔は見ていない。見なくても分かっていた。何度も心に焼き付けていた表情だ。見なくても、ライアの心にずっと留まっている。
顔を上げると、すぐにきびすを返した。そして、二度と振り返る事無く、ライアはスティングから去っていった。
カサッ
ライアが去った後、スティングは封書を手にした。
期待と恐怖が入り混じる状況の中、一枚の便箋につづられた文章に目を通す。
目を通し、何度も読み返し・・・不安が確信となった時。
スティングにもまた、涙が流れた。

"王子は私の希望でした。
エンドレスの・・・そして、ディオール大陸の。
私はずっと王子を見守ります。
貴方は私が愛した唯一のヒトだから―――"

涙で視界がにじむ。それをぬぐうことなく、手紙を握り締めた。
「それでも・・・君がここから去っていくのは寂しいよ」
ライアがこの手紙を差し出したとき、それが何であるか予想がついた。予感は現実だったのだ。
当然、引き止めたい思いは強かった。
だが、主として、従者の意思を受け止める必要があった。これは彼女の決定だ。スティングが否定して壊すわけには行かない、それに、ライアは――――――
『竜だ!!』
突然、外で大きな声が響いた。
我に帰ったスティングは、慌てて窓辺に寄り、何事かと外を見た。
その瞬間。
「!!」
スティングの視界が赤く染まった。
窓が割れそうなほどの強い風、そして、舞い上がる赤い竜。
「ライア・・・!」
空に羽ばたく赤い竜にスティングはそう叫んだ。
地上で騒ぐ人間をものともせず、赤い巨体は空に上がっていく。宝石のように輝く赤い鱗。
竜族の中で最高位の攻撃力を誇るブレイズロンド―――――― その名はライア。